« 森伊蔵 | トップページ | 体育祭 »

見守る教育

朝日新聞 2007年5月10日
「opinion」に
私にとってタイムリーな記事発見

~以下抜粋~

「見守る教育」試してみよう
宮本哲也(算数教室主宰)

私は首都圏某所で小さな算数教室を
細々と営んでおります。
今日は、私が実践している、
「ゆとり教育」でも「つめこみ教育」でもない
第三の教育についてお話しさせてください。
ゆとり教育もつめこみ教育も
「子どもをいかに伸ばすか」という発想は同じですが、
これがそもそもの間違いで、
「人が人を伸ばすことなどできない」というのが
今の私の結論です。
完成された人間である大人の自分が、
未完成の人間である子どもを自分のレベルまで
引き上げようという考えは間違いであり、
傲慢以外の何物でもありません。
確かに大人は知識と経験においては
子どもよりも一日の長がありますが、
人間としての未熟さという点では大差ありません。
学べば学ぶほど世界の広さ、
そして自分の未熟さを思い知らされますよね。
私たち大人にできることは子どもが伸びる
適切な環境と材料を提供して
ただ見守ることだけです。
学力とは、いい学校にはいるために
必要なのではなく、
よりよく生きていくために必要なのです。
生命力と言い換えてもいいでしょう。
私が子どもたちに望むことは、
一つの問題に対して10分間、
集中して頭を使い続ける姿勢を身につける
ということだけです。
わからなくても、解けなくてもひたすら考える、
これこそが学問の王道です。
結果を求めることをあせると全てが壊れます。
解けた問題の数だけ学力が上がるわけではありません。
頭を使った分だけ賢くなるのです。
努力の見返りは結果ではなく、
成長だと考えればどんな難問に出会っても
怯(ひる)むことがなくなるでしょう。
こういう話をすると
「では、伸びない子はどうすればいいのか」
という質問が必ず出ますが、
そういうことは、できない子どもが自分の頭で
真剣に悩まないと何も進展しません。
私自身、子どもの頃、勉強が出来ませんでした。
「こんなに何もできなくてどうやっていきていくのかなぁ」
とぼんやり悩んでいましたが、中学2年のとき、
「得意なものは何もないけど、
それでも一番可能性があるのは勉強だろうな」
という結論に達しました。
できない子に手を差し伸べるのは大人の自己満足だけで、
その子の自立、自覚を遅れさせるだけです。
また、学力を身につけることを
生活の最優先にしてはいけません。
生活の基盤は睡眠、食事、運動に置くべきで、
学習は4が番目と考えましょう。
子どもと接する大人の中には
「子どもは放っておくと怠けるから
無理にでも勉強させないといけない」
と考えている人が多いと思いますが、
強要されることを嫌うのは
大人も子どもも変わりません。
環境と材料だけを提供して
じっと見守りましょう。
「ゆとり教育」でも「つめこみ教育」でもない
第三の教育、「見守る教育」を試してみませんか。
ただ、ひとつだけご注意いただきたい点があります。
「見守る教育」を「見張る教育」にしてしまうと、
子どもは絶対について来ません。
冷たい目で見張るのではなく、
温かい目で見守りましょう。
きっと今よりうまくいくはずです。
「見守る教育」は「強い子に育てる教育」でもあります。
大人の「信じて待つ」という姿勢も問われます。



*-*-*-*-*-*-*-*



言ってることはわかる

できたらそりゃあいいな、と思うけど
実践するのは難しい

|

« 森伊蔵 | トップページ | 体育祭 »

学問・資格」カテゴリの記事

コメント

ごもっともなご意見
他人に対しては結構出来ます
仕事と思えば、見守りも意外に出来る
だが、自分の子は
感情、期待…がいっぱいあって私には無理

投稿: おかぺんぎん | 2007.05.11 22:41

私には、このようなケースは育ての中の一端と思えます。
決して間違いとはいいませんが、このような対応が、今その子にとって最適かどうかを真剣に考えることこそ肝要と思います。

投稿: Harydeel | 2007.05.12 00:27

いえてる。まぁ人によって色々考え方は違いますよね。
見守ると放っておくが紙一重だと思いますが
一人で行き詰っている子供に手を貸さずにおけば
出口が見つからなかった場合にいい加減嫌になると思います。
ヒントを与えながら如何にも自分で解を導き出しかのように
錯覚させておだてて木に登らせるのが私なりのやり方です。

但しそれは理想で、普段は子供と接触する時間が無いので「遠くで見守る」だけ(笑

投稿: もーし | 2007.05.12 09:09

こういったものってなかなか難しいですね~


一概に『こうなのよっ!!』と言いづらい。


子供の性格、環境などによって

対応、アドバイスの方法が違ってくる。


だから自分は

”何かで読んだ”

もしくは

”誰かから聞いた”

とかはあまりこだわらないようにしてます。


などと、分かった風な(?)コメントを書きつつも

実は親として大した事してない自分・・・(苦笑

投稿: ジョー | 2007.05.12 16:08

言葉遊びをしま~す。

勉強は勉め強いて学ぶこと、
学問は自ら問い学ぶこと、

だと思う。

性質が異なるものだと思うから一緒に考えると混乱しちゃうんじゃないかと思う。
それで、どちらも大切なことだから両方それぞれ大事にしなきゃいけないんじゃないかな?

ちなみに私は、子供の頃から勉強不足。。。大人になってから反省しとります。

投稿: Q | 2007.05.12 19:32

おかぺんぎんさん>
どんなにいいと思う教育方法でも
自分の子ども相手だと吹っ飛ぶことも多々あり。
感情がぶつかり合う場面ではなかなか
段取り通りにはいきません。
言ってることは素敵だし そう思うんだけど、
将来を見据えて考えたとき、
誰が成功の補償をしてくれるかっていうと
そんなものはないわけで。
自分の子の事は私が一番良く知ってるわい!と
開き直ってしまいます(^_^;)


Harydeelさん>
ちゃんと悩んで先を見ようとできる子ならいいけど、
何にも考えない子だったら最悪の結果になりそうですよね。
私はどちらかというと見守るより、
いかに勉強が楽しく且つ必要なものかを
どうアピールするかに重点を置いちゃいます。

投稿: CHIKA | 2007.05.12 23:08

もーしさん>
≫ヒントを与えながら如何にも自分で
≫解を導き出しかのように
≫錯覚させておだてて木に登らせる

これ大事ですよね。(b ̄-^)
押しつけられるとつい反抗したくなるのは
誰しも経験あると思うし。
ただ、問題は私が短気なので、
途中でおだてるのが面倒になっちゃう事なのだ(-_-;)


ジョーさん>
子どもの性格によって受け入れられる方法って
かなり違いますよね。
それを上手く探り当てて実践できたら
きっと勝手に伸びていくと思うけど、
そこにたどり着くまでが....

投稿: CHIKA | 2007.05.12 23:16

Qちゃん>
いいねぇ、とても柔軟なその考え方♪
対象となる相手によって求めているものによって
臨機応変に変化できる学びの姿勢だよね。
時には愛の鞭と苦行を、たまには飴を♪

投稿: CHIKA | 2007.05.12 23:42

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 森伊蔵 | トップページ | 体育祭 »